こんにちは。薩摩琵琶奏者の中尾掌水、
ヨガインストラクターのゆうこです。
普段は書籍の編集者として働いています。
源平合戦最後の戦いを描いた「壇ノ浦の戦い」を稽古した際、壇の浦を実際に見に行かなくては!と思っていました。春の出来事なので、この春、初めて行ってきました。
ここは、関門海峡の幅が最も狭くなり、潮の流れも激しくなる「早鞆の瀬戸(はやとものせと)」と言われている場所なのだだそう。
関門海峡を目の前に見て、なんて幅が狭く、潮の流れがはやいんだろうって驚きました。潮の流れが1日に4回も変わる、世界にもまれな海峡とのこと。
平家一門が敗れた一因に、潮の流れの反転もありましたが、それがよく分かる気がしました。
岩礁や暗礁も多く複雑な海峡であることから、今も海峡を通過する船舶は水先案内人(パイロット)の同乗が義務づけられているそうです。
そもそも関門海峡は古代から、歴史の舞台でした。神功皇后ゆかりの地であり、幕末には黒船が訪れた海峡。みもすそ公園には、幕末の攘夷戦(馬関戦争)で外国船に砲撃した砲台跡もあり、長州砲の原寸大レプリカが並んでいます。
ちなみに、宮本武蔵と佐々木小次郎が決戦した巌流島も、下関からフェリーで行くことができます。
平知盛をはじめとする平家一門、二位尼に抱かれたわずか8歳の安徳天皇は、この壇ノ浦に入水し沈んでいった。今もこの地に眠る。そんなことを思いながら、この潮の流れのはやい海峡を眺めていました。
次回のブログは、「宮島・厳島神社へお参り 平清盛はやっぱり天才だった!」です。山口県壇ノ浦まで来たのなら、広島の宮島へも行かねば!と思い、厳島神社にも寄りました(4月15日更新予定)。