こんにちは。薩摩琵琶奏者の中尾掌水、
ヨガインストラクターのゆうこです。
普段は書籍の編集者として働いています。
前回は琵琶の名曲から「雪晴れ」の魅力を紹介しました。この「雪晴れ」の舞台地は東京にあります。赤穂義士が討ち入りをした吉良邸は両国、彼らが眠る泉岳寺は高輪です。この両地点をつなぐ、いわゆる“赤穂義士引き上げルート”を歩いてみたいと思いました。
実際に四十七士が歩いたルートは、『「忠臣蔵」を歩く』(実業之日本社)という本に詳しく紹介されています。
元禄15(1702)年12月14日*旧暦*午前4時、47人の義士は墨田区両国にある吉良邸で2時間におよぶ死闘を繰り広げ、吉良の首を打ち取ります。
そして、休む間もなく、冬の早朝に約3時間かけて約11キロもの長距離を歩きました。両国を南下して、永代橋から隅田川を渡り、築地へ。
そして第一京浜を通って新橋駅、浜松町駅前、三田駅を過ぎ、とうとう港区の泉岳寺へ。
四十七士は15日午前9時頃、到着したそうです。私は途中、各史跡で写真を撮りながらの歩みでしたが、歩行時間は3時間半といったところでした。
元禄時代の道はコンクリートではなく、履物もスニーカーではありません。私は晴れた昼間に万全の体調で歩きました。
四十七士は死闘の末の歩行。怪我した者もいたと聞きます。皆、極度の疲労状態にあったでしょう。そのようなことに想いを馳せながら、同じ道をたどりました。
見えている風景は全く違えども、同じ道を歩いている、という実感は感慨深く、彼らの物語を、琵琶を通じて語り継いでいくという思いで胸はいっぱいになりました。
泉岳寺では、毎年12月14日に供養行事「赤穂義士祭」が行われます。この日は赤穂義士がかたきを討った日として有名です。そして、彼らが切腹した日は2月4日(旧暦)。わたしはこの前後にも泉岳寺へお参りしに行ってます。