こんにちは。薩摩琵琶奏者の中尾掌水、
ヨガインストラクターのゆうこです。
普段は書籍の編集者として働いています。
今日は琵琶の数ある名曲から「雪晴れ」の魅力を紹介したいと思います。
「雪晴れ」は、赤穂義士四十七士が主君のかたき・吉良上野介義央を討つシーンを語るものです。
江戸時代は中期、5代将軍・徳川綱吉の時代のことです。きっかけは、播磨赤穂藩藩主の浅野内匠頭長矩が江戸城で起こした刀傷事件でした(原因はいまだに不明)。浅野内匠頭は即日切腹、やがて浅野家は断絶の憂き目に。しかし、吉良には、なんの咎めもありませんでした。
そこで、筆頭家老である大石内蔵助を中心に、約2年に及ぶ吉良邸への討ち入り計画が秘密裏に進められ、暮れの12月に見事、彼らは本懐を遂げます。
「雪晴れ」では、この討ち入りシーンを語ります。打ち込む際の陣太鼓も、琵琶で表現します。
深夜の急な大襲撃で大騒ぎになる吉良邸。探すに探してようやく炭小屋に見つけた、かたきの主……。
“感極まりて言葉なく 思えば過ぎし二年(ふたとせ)に 親を失い妻子を捨て
憂きをも恥をも忍びつつ 待つ甲斐ありて今日の首尾”
激動の討ち入りシーンを語ったのちに、この上の言葉を語ります。
そして、大塩平八郎の詩吟が続きます。
臥薪嘗胆幾辛酸〔臥薪嘗胆 幾辛酸〕
一夜剣光映雪寒〔一夜剣光 雪に映じて寒し〕
四十七碑猶護主〔四十七碑 猶主を護る〕
凛然冷殺奸臣肝〔凛然冷殺 奸臣の肝〕
薪の上に寝て苦い肝をなめるような、辛い苦しみを幾度も耐えてきた。討ち入りの夜、剣は雪に映えて冷え冷えとしていた。四十七士は墓碑となった今も、主君を護っている。その凛々しく厳しい態度には、心の正しくない家臣も肝を冷やさずにいられない。
たしかに、四十七士の墓は主君の浅野内匠頭が眠る泉岳寺にあり、浅野内匠頭を護るようにして並んでいます。次回のブログでは、この泉岳寺まで、両国の吉良邸から実際に歩いた時のことをレポートしようと思います。
そして、3月26日の演奏会「薩摩琵琶を通して味わう 日本の美しい言葉」では、この「雪晴れ」を演奏予定です。
次のブログは、「雪晴れの舞台 泉岳寺までを歩いて」です。
(2022年2月12日更新予定)