琵琶とヨガがくれたShantiな毎日

Shanti シャーンティとはインドの古い言葉で、平和、安らぎのこと。編集者として働く私が、こよなく愛する琵琶とヨガの魅力を綴ります。

鬼才・葛飾北斎が80歳を過ぎて4度にわたり、長野へ赴き描いた圧巻の天井画に再会

こんにちは。薩摩琵琶奏者の中尾掌水、
ヨガインストラクターのゆうこです。
普段は書籍の編集者として働いています。

長野旅、最終日の7月1日、長野駅から長野電鉄に乗り、小布施へと向かいました。目的は、画才・葛飾北斎が80歳を過ぎたのちに手掛けた、お寺の天井画を拝観するためでした。北斎は4度にもわたり自らの足で歩いて赴き描いたそうです。

天井画は、小布施駅からバスで10分ほど離れた、岩松院というお寺に残されています。

ローカル線はたまりません!1本逃せば、次まで30分くらい電車を待ったり、ホームに朝とれた野菜や果物が売られていたり……。

実は、この天井画を目にするのは2度目。
以前、北斎の足跡をたどる本の編集に携わった際、この地に北斎が老齢に達してから手掛けた鳳凰の天井画があると聞き(お寺の天井画のため、動かすことができず、現地でしか見られない)、実際に見てみたいと出かけました。

胸を張って言います! この天井画、人生に一度は見るべき!! 私は二度目ですが、何度見ても損はないと思っています。その機会に何度も恵まれるなら、むしろ非常に喜ばしい。

なにがすごいの?って、これは実物を見てください、としか言いようがない。北斎の浮世絵とはまったく別物の気迫に満ちています。

この天井画は「八方睨み鳳凰図」と呼ばれています。どこから見ても、鳳凰と目が合うことから名づけられました。畳21畳にもおよぶ大きさ。

一度も塗り替えしていないそうなのですが、その鮮やかさ・力強さと言ったら! 北斎だからこそ、当代一のいい画材を使えたらしいのですが、北斎は“光の魔術師”的なセンスを持ち合わせていたので、きっと「この自然光で見上げたら、こう見える」「この角度から見たら、こういう色に見える」……そんな計算をしながら、描き上げたに違いありません。とんでもない怪物です。

北斎の本に携わった時も、その後、春画の本に関わった時も痛感したのですが、北斎は異質です。江戸時代、平均寿命は40代でしたが、北斎は90歳で天寿を全う。もの心着くころから、死の直前まで、ひたすら絵筆を握り、死の直前、「あと5年生きながらえれば、本物になれた」と残念がったのだとか。

こちらのお寺は、ほかにも見どころがあります。まずは、福島正則菩提寺福島は『黒田武士』で、酒の飲み比べに負け森但馬に名槍を譲った武将です。小林一茶が「やせ蛙 負けるな一茶 是にあり」と詠んだ池もあります。


お寺のおひざ元に、信濃のフルーツを使ったケーキを味わえるおしゃれカフェ「KUTEN」が誕生してました! 

果物好きには無視して通れません。どこにいたの?というほど、若い女性が次から次へとお店を訪れていました。

北斎を小布施に招いたのは、北斎の弟子でこの地の豪商・髙井鴻山でした。鴻山の出資により、北斎は岩松院の天井画以外にも、祭り屋台の天井画も手がけました。この地にある、北斎館に保存されています。鴻山の住居、アトリエ、北斎のために設けた部屋も髙井鴻山記念館として保存されています。

小布施の町中には、265年の歴史を誇る蔵元・桝一市村酒造場があり、12代当主は鴻山でした。こちらが運営するレストラン「蔵部」はおすすめです。

大きな竈で焚く信州産イワナご飯の炊き込みご飯、銅釜で炊かれた白米、網で焼くおにぎり、日本酒の飲み比べ……。はい、もちろんオーダーしました。

鴻山は北斎以外にも、佐久間象山らさまざまな人物をこの地に招いて、もてなしています。江戸でいろいろあった彼らも、小布施という自然豊かな地で、おいしいお酒やフードに舌鼓をうち、都会の疲れをいやしたのかも。私にとっての長野も同じ。今も昔も変わらず、ここにあるんだろうなと安心させてくれます。

次のブログは、「信頼できるバーが1軒あれば心強い! 神楽坂の‟バー英”さんをご紹介」です。(2022年7月30日更新予定)