琵琶とヨガがくれたShantiな毎日

Shanti シャーンティとはインドの古い言葉で、平和、安らぎのこと。編集者として働く私が、こよなく愛する琵琶とヨガの魅力を綴ります。

8月は白虎隊に思いをはせて

こんにちは。薩摩琵琶奏者の中尾掌水、
ヨガインストラクターのゆうこです。
普段は書籍の編集者として働いています。

8月23日―――白虎隊の命日です。そのことを忘れないよう、私は東照宮楽殿での「琵琶楽演奏会」の8月には、いつも「白虎隊」を演奏することにしています。

東照宮楽殿での琵琶の定期演奏会(22年8月)。

琵琶「白虎隊」を稽古するにあたって、勉強のためいくつか本を読みました。
その一つ、石橋真人(編著)の『ある明治人の記録』から、会津出身の柴 五郎氏が記した『血涙の辞』を紹介したいと思います。

戊辰戦争の際に、柴氏の祖母・母・姉妹は自刃。鶴ヶ城落城後、会津藩は朝敵の汚名を着せられます。柴氏は下北半島の火山灰地に移封。その時、わずか12歳の少年でした。そこでは、寒さと飢えの厳しく悲惨な生活が待っていました。

明治時代に取り壊されたが、2011年に、屋根瓦が幕末当時の赤瓦にふき替えられた鶴ヶ城

その後、明治33(1900)年の義和団事件で、柴氏はその沈着な行動により世界の賞讃を得、イギリス・ビクトリア女王から勲章を受けます。そして、“賊軍会津”から初めて陸軍大将となりました。その柴が亡くなった家族を偲びながら、“維新の裏史”ともいうべき苦難の少年時代を書き綴りました。それが「血涙の辞」です。

「いくたびか筆とれども、胸塞がり涙さきだちて綴るにたえず、むなしく年を過ごして齢すでに八十路を越えたり。・・・父母兄弟ことごとく地下にありて、余ひとりこの世に残され、語れども答えず、嘆きても慰むるものなし。・・・新しき時代の静かに開かるるよと教えられしに、いかなることのありしか、子供心にわからぬまま、朝敵よ賊軍よと汚名を着せられ、会津藩民言語に絶する狼藉を被りたること、脳裏に刻まれて絶えず。・・・悲運なりし地下の祖母、父母、姉妹の霊前に伏して思慕の情やるかたなく、この一文を献ずるは血を吐く思いなり。」

飯盛山から鶴ヶ城を見つめる白虎隊の像。

私は会津若松市にゆかりのない人間です。10代で自分の腹を切る覚悟も、とうてい想像つきません。
でも、白虎隊のことを語り続けていくことだけはできます。だから、白虎隊の命日である8月の東照宮演奏会では、白虎隊を語ることにしています。

琵琶は、日本の歴史を語るものなのです。それをテーマとした10月の川越演奏会では、この「白虎隊」を演奏します。語りや詩吟の内容、言葉についても紹介したいと思います。

次回のブログは、「プレ☆ブログ開設1周年 Shanti-シャンティという言葉を改めて」です。(9月17日更新予定)